日限萬里子さん没後1年

フクシママサト

2006年03月30日 20:52

3月17日は、アメリカ村生みの親でもある日限萬里子さんが亡くなってちょうど1年。
「ミナミのママ」しのぶ 日限さん没後1年
アメリカ村の生みの親と言われ、「ミナミのママ」と慕われた故・日限(ひぎり)萬里子さんが亡くなってから1年になるのを機に、「日限萬里子さんと一緒に集まろう会」が17日夜、中央区内であった。
歌手の桑名正博さんが日限さんをしのんで歌を披露し、「もう1年たったのは不思議な感じですが、きょうはまりちゃんをアテに飲みましょう」と呼びかけた。生前に交流があった約130人が入れ替わり会場を訪れ、思い出話に花を咲かせた。


高校時代、休みの度に通ったアメリカ村。
大学時代、毎週行ってたクラブディスコQoo。
そして、今ウチの会社がある南堀江。

これって全部日限萬里子さんが仕掛けたものなのです。
自分の中では「ミナミのママ」ってよりも「Qooママ」っていう印象が強い。

当時はQooのオーナーってことしか知らなくて、まさかアメリカ村の仕掛け人だとは知りませんでした。
働くようになってからそれは知ることになるのですが、今ウチの会社がある堀江も、自分が学生の時はただの家具屋街でした。

それが日限さんが、カフェをOPENし人の流れが変わりカフェや雑貨屋、セレクトショップがどんどん堀江に出来て今の姿があるわけです。

そう考えるとすごい人。
人が集まることによって、その恩恵を受けた部分もあると思いますが、何でも一番に始めるって決していいことばかりじゃないと思います。
苦労も多かっただろうし、人の流れが変わるまでは大変だったと思います。
おそらく2番手、3番手が一番いい思いをしているのでは?と思います。

それでも現在の大阪の街、文化に大きな影響を与えた人として自分をはじめ、多くの人の心に残っている人だと思います。
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